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早朝前に温泉街を散策する!足湯もある東山温泉発祥の地「土方歳三戦傷湯治の猿湯」を訪れる

早朝前に温泉街を散策する!足湯もある東山温泉発祥の地「土方歳三戦傷湯治の猿湯」を訪れる

はい、皆さんこんにちは。日常生活が楽しくなる情報をお伝えすることを心がけている、旅する写真家のいんたらくとです。

会津・東山温泉

東山温泉は福島県会津若松市にある温泉地です。福島県内でも随一の温泉地として知られ、旧幕府軍の守備隊として活躍した白虎隊の故郷にある温泉ということもあり、会津藩の湯治場としても使われていました。

本記事は、福島県観光交流課の主催する『ふくしま観光・夏コース』モニターツアープログラムに参加し、滞在に際して支援を受けて作成しています。

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登録有形文化財 向瀧

向瀧は1873年(明治6年)に創業した旅館です。会津藩指定保養所としても使われていた歴史のある建物が現存しています。建物は登録有形文化財に指定されています。ちなみに、道の途中にある新滝という旅館は会津松平家の別荘が発祥となっているため、向瀧とは源流が近いものがあります。

東山温泉発祥の地 猿湯

東山温泉発祥の地の由来

この源泉は、今から約千三百年前遊行僧行基上人が会津地方巡錫の折、川岸に白い湯煙をあげて噴出する霊泉を発見開湯されたもので、野猿が群れて入浴していたことから「猿湯」と呼ばれておりました。浴槽は天然の岩のくぼみ、岩底の割れ目から千年以上もの間耐えることなく温泉が自噴しております。

等温線は天正年間頃は現存する萬松山天寧寺の寺領だったこともあり「天寧寺の湯」と(天仁の湯)とも云われておりました。「猿湯」は創傷、火傷に浴効あり戊辰戦争時は、新選組副長土方歳三が宇都宮城の西軍との攻防戦で受けた右足の銃創をこの「猿湯」で癒やしたと伝えられております。

東山温泉発祥の源泉跡で土方歳三戦傷湯治の岩風呂だそうです。実際に土方歳三が訪れたのか正式な記録は残されていませんが、時代背景から戦傷の療養というものが『病院で入院』ではなく『温泉で湯治』だったと考えると東山温泉を訪れた可能性は大いにあり得るのかなと思います。

1968年旧暦4月の宇都宮城の戦いで戦傷を負った土方歳三は約3ヶ月ほど会津地方で療養したとされており、療養期間が明けた8月に会津戦争の戦況悪化に伴い援軍を求めて北上していき、最後地である函館・五稜郭へと向かうことになります。土方歳三が会津で過ごしたのは最期の数ヶ月ということになります。

東山温泉 無料足湯処

猿湯の対岸には東山温泉 無料足湯処があります。猿湯は入ることができませんが、足湯処は自由に入ることができます。なお、利用する際にはタオルの持参を忘れずに。

尼ヶ渕

葦名家重臣の1人娘千穂姫は東国一の美女で、彼女には許婚がいましたが、領主直盛に見初められて悩み、湯川に身を投げてしまいました。その場所が「尼渕」です。運良く千穂姫は助け上げられましたが、智尚尼と名を改め、仏門に入ったといいます。

東山温泉が歴史のある温泉地ということで、古くからの言い伝えも残されています。ご当地の人物にまつわる話ということで内容について調べてみてもいまいち詳細ははっきりしなかったのですが、そういった伝説が残されているということで歴史があるということは分かります。

料理旅館 今昔亭

温泉街の中心部にあるのが今昔亭です。客室数は少なめだそうですが、その分決めの細かいサービスが受けられるということでとても人気がある宿だそうです。温泉旅館では珍しくシングルルームも設置されています。1人旅でも訪れやすい旅館です。

川床もある源泉かけ流しの宿 原瀧

原瀧は『川床』という川を眺めながら食事をすることができる施設がある宿です。川沿いにあるので夏は涼し気な音が、冬は寒いので暖を取りながら会席料理を食べることができるそうです。

おわりに

今回はホテルの朝食時間前に東山温泉の温泉街を散策してみました。風光明媚な雰囲気のある温泉街で散策するだけでも楽しめます。無料の足湯処もあるので歩くついでにぜひ足湯にも立ち寄って見てください。

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