武雄温泉のシンボル楼門や新館近く!公衆浴場の「蓬莱湯」で日帰り入浴を楽しむ
はい、皆さんこんにちは。日常生活が楽しくなる情報をお伝えすることを心がけている、旅する写真家のいんたらくとです。
目次
武雄温泉の温泉街
今回は佐賀県にある武雄温泉を訪れました。武雄温泉は西九州新幹線の停車駅のひとつにも選ばれている、佐賀県では嬉野温泉と並んで知名度の高い温泉街です。豊臣秀吉による朝鮮出兵の際には負傷した兵士の湯治場としても利用されたと言われている歴史の長い温泉で、現在では大小の数十件の温泉宿が立ち並んでいます。
温泉街があるのは武雄温泉駅から徒歩約15分ほどの場所です。温泉街の入口は武雄温泉入口という交差点となっており、温泉街のはじまりが名前からも分かりやすくなっています。路線バスも走っていますが、温泉街には入らず駅から入口までの500mだけなので、もし歩くのが難しいということであればタクシーの利用も検討したほうが良いかもしれません。
武雄温泉のシンボル楼門
温泉街の奥に武雄温泉のシンボル的な存在として知られる楼門があります。楼門は1915年に完成しました。辰野金吾が設計した建物の中でも木造の建物は特に現存しているものが少なく貴重な存在となっています。辰野金吾は佐賀県唐津市出身の建築家で、代表的な建築物としては東京駅の赤レンガ造りの建物や辰野金吾記念館となっている唐津銀行本店などがあります。
楼門の2階には干支のなかでも子、卯、午、酉の4つの意匠が発見されています。干支というのは12個でセットになっているので、4つだけでは足りません。そのため当初はただ方角を示すために設置したと考えられていたそうですが、なんと東京駅丸の内駅舎には楼門2階にあった干支以外の8つの彫刻がドームの天井に設置されていたそうです。東京駅と武雄温泉の楼門と新館は同じ時期に辰野金吾によって設計された建物ということもあって、遊び心を感じさせるまさかの共通点があります。
公衆浴場の元湯と蓬莱湯
武雄温泉には元湯と蓬莱湯という公衆浴場があります。元湯も蓬莱湯も泉質は同じですが、お風呂場の内装に違いがあります。元湯は木の壁で昔ながらの内装のお風呂で、蓬莱湯はいわゆるスーパー銭湯のようなこざっぱりとした内装のお風呂となっています。、伝統を感じさせて情緒のあるお風呂に入りたいときは元湯、清潔感のあるお風呂に入りたいときは蓬莱湯、というように気分や要望に応じて選ぶと良いかなと思われます。
入湯料
区分 | 元湯 | 蓬莱湯 |
---|---|---|
大人 | 500 | 500 |
小人 | 250 | 250 |
入湯料は元湯も蓬莱湯も大人500円、小人250円です。どちらも価格は同じなので、予めどちらのお風呂に入りたいかを考えてから行くとスムーズです。6枚綴りの回数券もあるので、家族で訪れるときには若干お得に利用することができます。また、フェイスタオルは1枚200円で販売されているので、タオルを持っていない場合でもぶらっと立ち寄っても問題はありません。ただ、石鹸等は基本的には用意されていないので予めご了承ください。
元湯で日帰り入浴
今回は元湯を利用しました。清潔感のある今どきのお風呂も良いのですが、せっかく歴史の長い温泉街に来ているということを踏まえると、元湯のほうが雰囲気があっているのかなと感じました。全体的に元湯のほうが人気があるそうですが、水回りということもあって清潔感を重視する方のためにも蓬莱湯という選択肢があるのは良いです。
大正時代の建物を復元した新館
武雄温泉新館は公衆浴場の元湯や蓬莱湯と同じ敷地内にある木造の建物です。楼門と同じく辰野金吾が設計した建物で、楼門と新館をあわせて竜宮城のような豪華さを感じさせる建物はとても立派です。1915年に完成してから1973年までは公衆浴場として使用されてきましたが、老朽化や建物の保全のために公衆浴場としての営業は終了しました。現在では、武雄温泉の歴史を展示する資料室や休憩所として使用されています。
五銭湯浴室
五銭湯浴室です。公衆浴場として開かれたときには五銭で入れたお湯ということから五銭湯という名前になったそうです。なお、訪れたときは休止中ためお湯が抜かれていましたが、現在では足湯として観光客が往年の雰囲気を感じられる貴重なスポットとなっています。湯船に使われているタイルは有田町で作られたものだそうです。
なんとなく東京駅の改札付近のドーム天井と同じような換気用の塔があります。
温泉マークが設置されているのが女湯で温泉マークが設置されていないのが男湯のようです。五銭湯は同じ構造で男湯と女湯の2つの浴室があります。
武雄温泉の資料室
「秀吉公温泉掟書」
一、湯治の客は土地の者に対して、難題を申し付けてはならない。
一、客は一人につき五文の宿銭を支払うこと。
一、薪柴の用意は必要であるが、屋敷廻りその他指定地内の樹木を伐採してはならない。
天正二十年六月十八日
脱衣所だった部分は武雄温泉の歴史を伝える資料室として整備されています。秀吉公温泉掟書という資料からは、武雄温泉の利用について豊臣秀吉から掟を定められるほどの盛況ぶりを伝えています。
マジョリカタイルが見られる十銭湯
五銭湯に対して十銭湯はお風呂場の広さとしては狭いのですが、タイル張りで豪華さを演出している空間となっています。マジョリカタイルと呼ばれる鮮やかな模様が特徴のタイルが使用されています。日本では大正時代から明治時代に掛けて製造されていましたが、現在ではほとんど流通もしていないとても貴重なものとなっているそうです。
貸切風呂
貸切風呂として使われていたと考えられている小さな浴室もあります。
2階は休憩所
2階は畳張りの休憩所となっています。温泉に入った後にゆっくりと畳の間でひとやすみすることができたら、気分ものんびりと落ち着くリフレッシュする時間を過ごせそうです。
2階の窓からは楼門も見ることができます。武雄温泉の周囲の景色はきっと大きく変わったものと思われますが、新館と同時に作られた楼門はずっと変わっていません。大正時代の人もこのように窓から楼門を眺めていたと思うととても長い時間の流れを感じます。
おわりに
武雄温泉の公衆浴場である元湯で日帰り入浴を楽しみました。武雄温泉は古くからの温泉で九州北部の代表的な温泉地としても知られています。列車の出発までの約1時間半という短い時間で立ち寄ったので慌ただしくお風呂に入って新館を見学してという行程になってしまいましたが、温泉に入ってリフレッシュすることができました。福岡から長崎の移動などの際に、武雄温泉を通ったときには、ぜひ日帰り入浴に立ち寄ってみてください。