ナチスドイツの強制収容所で過ごしたフランクルによる名著「夜と霧」を読んだので内容をまとめてみました。
はい、皆さんこんにちは。いんたらくとです。
V.E.フランクル
この記事では夜と霧を紹介します・・・その前に著者のフランクルについて簡単に説明をします。フランクルはオーストリアの精神科医で心理学者です。大学在学中からアドラーやフロイトに師事しました。フロイトやアドラーという名前は聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。そうして、フランクルは独自の考えをまとめました。それがロゴセラピーです。
フランクルのロゴセラピー
ロゴセラピー(意味中心療法)は、生きることの意味は、某アニメの名言で例えるなら「止まるんじゃねぇぞ…!」という現実主義な考え方です。限界があることを知って諦めよう、最後は愛の力というアドラー心理学とはおそらく全くの反対です。
創造 | 職業や趣味などでの実際の活動に含まれる価値 |
体験 | 自然や芸術などの受容、鑑賞などに含まれる価値 |
態度 | その都度の状況へ向かって何かしらの態度をとること、その勇気や品位に含まれる価値 |
「意味のある行動という明確な目的を持って生きることで、どのような苦しみにも耐えられる」という考え方です。意味のある行動とはこの3つのカテゴリーのいずれかまたは複合的なもののことだそうですが・・・。(よく分かっていない)
さすがにどんな苦しみに耐えられるまで言うと言いすぎかもしれませんが、「地に足の着いた行動をすることで、確実に成果を積み重ねていく」ということでしょうか。
原稿に救われたフランクル
さて、フランクルは、オーストリアの病院に務めていましたが、オーストリアがナチスドイツに併合されたことをきっかけとして病院を解雇され、強制収容所へ収容されました。実はアメリカへの通過ビザを入手できる環境にあったのにも関わらず、それを断ったのです。
この段階で「フランクルの考え」そのものは完成していました。つまり、最終的に「夜と霧」という本として世に出る著書を書いている途中で収容されたのです。
収容所に到着したとき、著書の原稿を没収されたことが長い収容所生活の始まりです。フランクルにとっての希望とは「家族と再開すること」そして何よりも「著書をなんとしても完成させること」でした。その目的があったから、生きることができたと言っても過言ではありません。
夜と霧
夜と霧は著者のフランクルの考えをもとに、フランクルがナチスドイツの強制収容所に収容されるという極限状態になったときの心境変化について書かれた本です。翻訳本で新版と旧版がありますが、今回はそのうち旧版を読みました。
引用部分は音声によって入力したため、誤字脱字があるかもしれません。
未来が明るければ
収容されてからしばらくたった頃、収容所内ではクリスマスになれば解放されるという噂が広がっていました。しかし、その日が来ても解放されることはありませんでした。そればかりか、その日を過ぎてから急激に死者が増えました。
未来を失うとともに彼はその拠り所を失い、内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落したのであった。
p178
クリスマスに解放されるという良い未来に向かって過酷な環境を生き抜いてきた人々は、その日が過ぎて落胆し失望したとき、ついに力尽きてしまったのです。噂レベルの小さな希望でも、裏切られたという事実は致命的な出来事でした。
勇気と落胆、希望と失望と言うような人間の心情の状態と、他方では有機体の抵抗力との間にどんなに緊密な連関があるかを知っている人は、失望と落胆へ急激に沈むことがどんなに致命的な効果を持ち得るかということを知っている。
p181
病は気からということわざがある通りなのですが、心理的に落ちている状態が続けば、関連して身体的にも免疫力が低下してしまいます。日常生活においても十分に問題のある負のループです。
日々過酷な労働を課せられている上に、食べ物ない薬もない衛生的でない、伝染病が蔓延している収容施設においてはこれがどのような結末をもたらすのかはご想像におまかせします。
なぜ生きるかを知っているものは、ほとんどあらゆるいかに生きるか、に耐えるのだ。
p182/ニーチェ
少なくともクリスマスの解放という希望が持てている間は「生きる理由があった」人々は耐えていました。どんな理由であろうと、なぜ生きるのかという理由がある人は、いかに生きるかという問題にも対処できうるのです。芯がある人はそういう状況に左右されることなく耐え続けました。
生きることの意味
我々が人生の意味を問うのではなくて、我々自身が問われたものとして体験されるのである。人生は我々に毎日毎時間問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。
p183
これが意味するのは、私たちの人生に意味があるのではなく、生きて悩み行動するという一連の流れにそもそも意味があるということです。つまり、「何か」に対してのアクションをしっかり取り続ける必要があるのです。そうしなければ生きる希望を失ってしまうのです。
収容所内においては、フランクルのように著書を完成させたいという使命のほかに、離れ離れになってしまった家族に再会するという使命などが生き抜くためにとても重要な意味を持っていったのです。何かのために、誰かのために生き抜こうという強い意志を持つことでかすかな生きる希望をつないだのです。
ここからわかるのは「なんのために生まれてなにをして生きるのか~」アンパンマンのマーチにはこのようなフレーズがありますが、アンパンマンのマーチは生きることを後押しするような深い歌詞だということです!何かに迷ったら聴いてみてください。
何人も彼の代わりに苦悩を苦しみ抜くことができないのである。
p184
どのような悩みでも、さいごの最後では自分の脚で歩くしかないのです。強い意志というものは自分自身で考えた先にあるのです。周りの人間はその過程でサポートはできますが、どこまで行ってもサポートの範囲でしか動くことができません。
涙は強さの証拠
全く我々にとって苦悩し抜くこと、「苦悩の極みによって高められ」うる事は充分あったのである。したがって必要なのはそれをいわば直視することであった。もちろんそこには「気が弱く」なる危険や、密かに涙を流したりすることもあるであろう。しかし彼はこの涙を恥じる必要はないのである。むしろそれは彼が苦悩への勇気と言う偉大な勇気を持っていることを保証しているのである。しかしそのことを知る人は少なく、多くの人は恥じらいながら彼が何度も泣き抜いたことを告白するのである。
p185
多くの人たちは恥ずかしながら「泣いた」といいます。しかし、その涙を恥じる必要はないのです。なぜなら、その涙は悩みや現実を直視したことから流れたものなのだからです。苦悩から逃げずに立ち向かったということを保証する涙。強さの証拠なのです。
苦悩と向き合わずにいられるならどんなに良いことでしょうか。でも、苦悩と向き合わなければ次のステージには進めないのです。強制収容所においては生きていけません。一切の希望もない環境において、苦悩を乗り越えようと考え続けたことこそが絶望の淵に落ちないための命綱になっていたのです。
いつもヘラヘラと苦悩と向き合わずに偽の笑顔を見せている者よりも、涙を流して苦悩を克服しようとする者のほうがよっぽど強いのです。
私を殺さないものは私をいっそう強くさせる。
p189/ニーチェ
「私を殺さないものは私をいっそう強くさせる。」はっきり言ってこの言葉だけ見ても意味がわかりません。まず、哲学者ニーチェのルサンチマンという考え方について簡単に説明します。
ルサンチマンは「恨みや妬みという感情」です。そして、ルサンチマンを持った状態とは、できない理由や恵まれない環境に目を向けて「ずるいな~」と感じている状態です。誰でも、どうにもならないような状況に直面したときに「ルサンチマン」を持った状態になります。古典的なものでは労働者が資本家に対して持つものです。同じようなスタートを切ったにもかかわらず、かたや有名かたや無名という状況でも発生しやすいものです。
どれほど道のりが長かったとしても問題を解決するためには行動するしかありません。そのまま腐ってしまうのか、ほんの一握りの可能性を信じて行動するのか。すべきことから目をそむけている状態「ルサンチマン」を乗り越えることで、さらなる強さを手に入れることができるのです。そういう意味で、殺さないものは自分を強くさせるのです。ちょっと強引な解釈かもしれませんが、殺さないものは次の目標を教えてくれる存在なのです。
人間性は常に発揮される
例えば私が最後に行った収容所(そこから私は解放された)の指令を例にとってみると、彼は親衛隊員であったが、解放後判明したところによれば(それについてはそれまで収容所の医師しかそれを知らなかったが)彼は自分のポケットから少なからずあり金を出し、そっと町の薬局から囚人のための薬を買い入れさせていたのであった。一方、この収容所の囚人代表は(したがって彼自身囚人であるが)収容所の親衛隊員を全部合わせたよりももっと厳しかった。彼は時と所を問わず囚人を殴った。だが前述の指令は私の知ってる限りでは1度でも「彼の」囚人に対して手を挙げた事はなかった。
p195
ナチスドイツの強制収容所について「強制収容所の中では親衛隊が囚人のことを殴っていた」という一文を見れば異議をとなえる人はいないでしょう。もちろん、収容所の中で親衛隊員が囚人を殴っていたということは紛れもない事実です。しかし、「加害者の親衛隊員」と「被害者の囚人」という枠組みでは考えられないような例外もあったのです。
われわれはこの地上には2つの人間の種族だけが存するのを学ぶのである。すなわち品位ある善意の人間とそうでない人間との「種族」である。(中略)もっぱら前者だけ、あるいはもっぱら後者だけからなるグループというのは存しないのである。
p196
このことから、親衛隊員であろうと囚人であろうと立場には本質的に関係がないということがわかります。殴る人は殴るし、殴らない人は殴らないということです。だから、どの環境においてもその人の品位というものは発揮されるのです。人が集まれば必ず両方の性質を持った人が集まるのですが、どちらになるかはあなた次第というわけです。
理解されないという深い絶望
何人も不正をする権利はないと言うこと、たとえ不正に苦しんだものでも不正をする権利はないと言うこと、係る平凡な心理をこういう人間に再発見させるには長い時間がかかったのである。
p202
ついに連合軍が収容所まで到達し囚人は解放されました。柵の外へ出て自由に歩き回ることが許されたのです。収容所の周りには麦畑がありましたが、囚人たちの中には鬱憤を晴らすかのように踏み荒らした者もいました。不正によって苦しんだから不正をしても良いという事はありません。しかし、そんな普通の考えを人々に思い出させるには長い時間を要することになったのでした。
彼を性格的に損ない、危険にしうるさらに2つの根本的な体験があった。すなわちそれは自由になってその古い生活に戻ってきた人間の不満と失望である。(中略)彼がほとんどの至るところで「私たちは何も知らなかったのです…」とか「私たちも苦しんだのです…」とか言う通例の話し方しかされないと、彼はこれが一体人が彼に言い得る全てなのだろうかと自らに問わざるを得ないのである。
p203
しかし、そういうような人が必ずしも悪い人だとは思わないとフランクルは述べています。なぜなら、収容所生活で絶望の底に沈んだと思っていた人の中でもこのあとにさらなる絶望が待っていたからです。フランクルを持ってしても、性格を損なってしまうのは仕方がないと思わざるを得ないような絶望がまだあったのです。
ひとつは普通の生活に戻ったときに「私たちは何も知らなかったのです…」とか「私たちも苦しんだのです…」という安っぽい慰めの言葉で、苦しみを理解されないという絶望です。
われわれは収容所の人間を心理的に維持させるには、未来におけるある目的、に彼を差し抜けなければならないことをすでに述べた。そして人生が彼を待っていること……例えば1人の人間が彼を待っている事……が必要だと述べた。ところが今若干の人間はもう誰も彼を待ってはいないこと、を知らざるを得なかったのである。
p203
そして、もうひとつは家族に会うという目的で生き続けた人にとってはとっても悲しいことに、他の収容所に収容された家族が無事とは限らなかったという絶望です。家族への再開が今までの希望で有り続けたのですが、それすらも叶わないひともいたのでした。
おわりに
われわれの苦悩や犠牲や死に意味を与えるものは「幸福」ではなかった。それにも拘わらず、不幸ということもほとんど理解されていないのである。解放された囚人のうち少なからざる人々が新しい自由において運命から受け取った失望は、人間としてそれをこえるのが極めて困難な体験であり、臨床心理学的にみてもそう容易に克服できないものなのである。
p204
苦しみから解放してくれるのは幸福ではありませんでした。苦悩や絶望というものは底なし沼で、最悪の状況を乗り切ったと思っていてもその先にある無理解によって失望することがあります。しかも、その苦しみを乗り越えることは極めて困難でそう容易には克服できないとはっきり書かれています。つまり、一番の苦悩とは理解が得られないことということになるでしょうか。
この最後の言葉はとても苦しい話です。でもフランクル先生はそれを克服する、克服できるようにサポートすることは使命だから悲観することはないそうです。
「何かのために、誰かのために生き抜こうという強い意志」はきっとあなたを支えてくれるでしょう。