松代城跡の現存付属施設!江戸時代の屋敷が残る「国指定史跡 真田邸(新御殿)」を訪れる
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国指定史跡 真田邸(新御殿)

本日は長野県長野市の南側にある松代町を訪れています。松代は江戸時代には真田家の統治する松代藩の中心地でした。国指定史跡 真田邸(新御殿)は9代藩主の真田幸教によって1864年に造られたお屋敷です。当初は幸教の義母が暮らすために造られた屋敷でしたが、その後は真田家の私邸として使われていたそうです。松代城の付属施設として造られた経緯から、城内にあった御殿に対して新御殿という名前でも知られています。江戸時代の御殿造りを今に残していることから、1981年には松代城跡とともに国指定の史跡として指定されています。
入場料

区分 | 料金 |
---|---|
大人 | 400円 |
小中学生 | 100円 |
入場料は大人400円、小中学生は100円です。近隣の真田宝物館、文武学校と合わせた共通入場券もあります。3館共通券は大人1,100円とちょっとだけお得に入場することができるようになっています。いずれも訪れる予定の場合は単館券ではなく3館共通券を選ぶとお得に入場することができます。
真田邸の公的空間

玄関から中へ入ると真田邸のあらましが記載された案内看板が設置されていました。主な見どころは江戸時代に造られた御殿建築の間取りです。建築された江戸時代からの建物が現存しているので、当時の暮らしぶりを思い浮かべながら建物内を見学するとより理解が深まるかなと思います。時代劇でも登場するような間取りが時代劇のセットではなく、実物として残されています。




江戸時代には周辺一帯のエリアをまとめて松代藩と呼ばれるほどの主要な街でした。現在では長野市の中心は長野駅前に移ってしまっていますが、当時は大きく栄えた街だったようです。藩主の邸宅ということもあって多くの来客もあったようです。来客対応はこの表座敷で行われていました。
真田邸の私的空間

藩主のお屋敷は藩主の仕事場としての側面と生活空間としての側面を兼ね備えた建物です。しっかりと切り替えられるように杉の木でできた襖が設置されていました。公的空間と私的空間が混ざらないように、物理的に区分するという手法が使われていたようです。江戸時代にはすでに配慮していたことからもわかるように、ライフワークバランスを鑑みることは、今に始まった話ではないというのがわかります。


公的空間のほうが重厚感があったのに対して、私的空間の方が落ち着いた雰囲気となるような造りになっているそうです。確かに杉の戸よりも前は広々としていて集会所のような雰囲気でしたが、杉の戸から先は途端に家という雰囲気になっています。
水回り



お風呂場やお手洗いもあります。当時は薪で沸かすタイプのお風呂が設置されていたようですが、現在はありません。水を切るために斜めになった床面を見ることができます。お手洗いは部屋の続きとして通路の先に設置されており、足元は畳が敷かれています。
庭園



訪れた日は曇り空だったので遠くの景色まではあまり良く見ることができませんでしたが、周囲の山々を借景して造られている庭園だそうです。敷地内だけではなく自然の山も庭園の背景として使うことで壮大な景観を見ることができます。
増築された離れ



ぐるっと回って玄関の近くまで戻ってきて、増築された離れの方へと進みました。家の構造としてはあまり見慣れない両側を壁に囲まれた細長い通路の先に部屋があります。江戸時代の建物として部屋に囲まれた通路はあっても、たいてい光取りの窓がある事が多いように思えるのですが、後年に増築され、本殿と力技で接続したことでこのような間取りになったそうです。江戸時代の建物で『離れ』というと渡り廊下でつながっている印象を持っていたのですが、家の一部として取り込んでしまうという間取りも現実に存在していたようです。
おわりに
今回は松代にある真田邸(新御殿)を訪れました。真田家は武田家の家臣として勢力を伸ばし、関ヶ原の戦いの際には一族でそれぞれ東軍西軍に分かれて戦い、長らく信濃の地で大名を続けてきた歴史のある一族です。江戸時代から残る本物の建物なので、当時の大名の生活に思いを馳せてみたい方にはおすすめのスポットです。