歴史的出来事の舞台!会津さざえ堂と白虎隊士自刃の地がある飯盛山
はい、皆さんこんにちは。いんたらくとです。
飯盛山
飯盛山は鶴ヶ城(会津若松城)から約2.7km北西にある白虎隊士自刃の地で知られている山です。白虎隊士が他の山でなく飯盛山を目指したのは戊辰戦争当時から地元では神聖な場所として扱われていたからと言われています。エスカレーターは有料で250円ですが、健脚な方なら183段と見えているだけなので階段でも十分に登りきれると思います。
白虎隊士最後の地
飯盛山の南側には白虎隊最後の地があります。飯盛山のこの場所から鶴ヶ城(会津若松城)を眺めたときに、城下町が燃えているのを見て、城が陥落したと勘違いしてしまったというのが歴史上の悲劇につながります。
自刃の地よりも手前に白虎隊士のお墓があります。お墓は鶴ヶ城の方向を向いています。会津藩は朝敵となったため、埋葬を禁止され野ざらしになっていましたが、当時の山主であった飯盛正信によってこっそりと仮埋葬されました。その後、正式に埋葬することが許可されて現在に至っています。
白虎隊に感銘を受けたイタリア首相ムッソリーニより、ローマ市民からとして1928年にモニュメントが贈られています。
会津さざえ堂
会津さざえ堂は正式名称を円通三匝堂という二重螺旋構造のお堂です。1796年に僧侶の郁堂によって建立され、1996年に国の重要文化財として指定を受けています。
内部はスロープになっており、一方通行で上り下りすることができる不思議な造りになっています。
昔は観音像が並べられていたそうですが、現在はありません。
一方通行なので出口は正面ではなく後ろ側になります。
さざえ堂を正面から訪れるには長い階段が。
戸ノ口堰洞穴
戸ノ口堰洞穴は猪苗代湖から伸びている全長約31kmの洞穴です。1623年に肝煎八田内蔵之助によって工事が行われて1641年に通水し、1832年~1835年に会津藩士の佐藤豊助によって大改修が行われて、現在の形になっています。戊辰戦争のときには白虎隊士がこの洞穴を通って逃げてきました。
おわりに
数々の歴史の舞台です。歴史小説やドラマでも登場する白虎隊に興味関心がある方はぜひ訪れてみてください。